《発足の動機と展望》

  1. 昭和33年、第1回の親里の集い開催。天理教青年会主催。青年会活動指針の中で職域布教活動が提唱され、職域布教の開拓について企画されて、その具体的活動の第一歩が第1回の集いとなった。
  2. 職域における信仰者のあり方、教職者としての信仰の実践等について相互に研鑽し、あわせて親睦と経験交流をはかる唯一の機会であった。
  3. 昭和44年、第12回の集いより国内布教伝道部布教二課に移管。地域における布教活動の推進を主眼とする布教二課のこの集いに対する将来へのビジョンは、各地域における集いのメンバーの日常活動の実践と展開にある。ところが当時は世界的に教育問題が深刻化し、学園紛争による混乱が続き、この世相をうけて、「道の教職員としての現代的課題と理想像」を継続的に追及することとなった。

《地域における集いの組織化と活動の推進》

  • 全国的に親里の集いに参加を希望する気運が高まり、教区単位に有志が集まるようになった。この集いの組織化運動は、自然発生的に生まれたものである。この主体的な基盤に立って、地域の組織を充実していく歩みが展開された。
  • 昭和46年、教区単位等の組織化の動きが出てきた。(5月東京教区・7月和歌山教区・11月新潟教区・12月九州大会)
  • 職域における具体的実践を展開する中で、従来の文部省系列の諸学校のほかに厚生省関係諸施設等の職域の仲間もはいれる動きが起こってきた。
  • 教祖90年祭活動として、全教区に集いの組織を持とうという有力メンバーの活動が、三年千日を目標に展開され、また、教区に対する布教二課の強力な要請と、集いに対する教区長・教区役員会の理解と支援によって昭和51年、教祖90年祭の年に全教区に組織が完成した。
  • 教区組織は、教会系統・年齢・男女の別なく、教育活動という共通の職責を担う者の求道と研修の共同体であり、地域社会、教育界の領域に生まれた布教伝道の新しい活動体である。
  • 地域における会合を開催する度に、この集いの輪は広げられてきたが、それ以上に努力を要することは、既存メンバーの連絡・交流を密にすることである。
  • 教区単位の連絡網・交流を確立し、各教区の代表世話人同士の連絡も密にしておく必要がうまれ、全国を9ブロックに分けたブロック活動が急速に展開された。
  • ブロック内代表世話人同士の研修会が定着し、年間地域活動の軸となった。
  • 教祖100年祭活動の目標として、地域活動の充実と共に、夏に集い参加者1000名を達成するために教区代表世話人を中心に倍増運動が進められた。昭和61年、第29回教祖百年祭の集いに988名が参加して画期的な発展を遂げた。

10. 立教156年10月26日、諭達第4号が交付され、「道の教職員の集い」としても、教祖110 年祭の年には百年祭の参加者の1割増を目指して、各教区の心定めが行われた。

11. 布教二課長から指名された管内世話人が全教区を訪問し、道の教職員の集いに対する理解と協力を求めた。

12. 平成8年、教祖110年祭「第39回道の教職員の集い」に、過去最高の1125名が参加して、心定めが完遂された。

13. 立教161年9月1日、道の教職員の集いの活動の推進、活性化とより発展した形での組織充実を目指して、「運営委員会」が発足した。

14. ここ数年、教員研修の強化により夏休みを利用して校内研修や各地域開催の研修会に学校単位で参加するようになり、「道の教職員の集い」に参加する事が困難となってきた。そこで第46回(立教166年)より「心を育てる教職員の集い」に名称を変更し、より参加しやすい集いを目指した。

15. 同年、学校法人天理大学の後援をいただいた。また、教育講演を公開とし、奈良県内公立学校を対象として広く呼びかけを行った。

16. 立教166年、教祖120年祭に向かう三年千日の時旬に、現在の子育てに悩む教職員や親を対象とした教育フォーラムの開催が各教区に促された。

17. 立教167年、「第47回心を育てる教職員の集い」に天理市より後援をいただいた。

18. 立教170年、「第50回心を育てる教職員の集い」に天理市教育委員会より後援をいただいた。

19. 立教172年、「第52回心を育てる教職員の集い」に新たに分科会を取り入れる。

20. 立教175年、従来の「心を育てる教職員の集い」から原点回帰の意味を込め、名称変更し「第55回道の教職員 夏の集い」を開催。

《布教二課からの自立と新たな動き》

1. 立教185年3月末日をもって天理教布教部布教二課の管轄から離れた。同年4月1日、今までのご本部の厚き支援に感謝しつつ、更なる発展を期し新たな全国事務局を開設し、任意団体として再出発した。各教区の活動については、当該教区の判断に委ねられることとなり、活動を継続する教区と休止する教区に分かれたが、伝統ある「夏の集い」の開催、全国の仲間との連携・交流は続くこととなった。